京大のキャンパスレポート
第2回 創立記念日

6月18日は京大の創立記念日です。 毎年この日は、大学のほとんどの施設が祝日扱いとなり、すべての授業が休講になります(ただし大学自体は入れるようになっていて、熱心な研究室などは活動しているかもしれません)。
記念日の前日に「創立記念行事音楽会」というコンサートがある以外、特別な行事はないようです。

学生は授業が休講になった分、7月に迫りくる期末試験・レポートに備えて勉強したり、いつもの休日同様、部活・サークルやバイトなどに精を出したりします。創立記念日であるからといって、京大生が京大の歴史について振り返ることはあまりありません。

しかし、京大生や京大をめざす受験生にとって、京大の歴史を知ることはとても大切なことです。まず京大が今まで何をめざし、何をやってきたのかを知らないと、京大独自の「自由の学風」を間違って捉えることになるでしょう。

また京大における苦難と栄光の歴史は、まるで真実をとことん追求する研究者の人生について、我々に語りかけてくるように思われます。

何より受験生が第一志望を京大にするか、京大の長年のライバルである東大にするか決めるにあたっては、京大の歴史をたどることによって「東大には無くて京大にはあるもの」を数多く見出すことができるでしょう。

京大の歴史

創立記念日1

創立110年を超える京大の長い歴史を知るには、やはり図書館に行くなどして文献を求める必要があります。
また京大の時計台では、京大の歴史についての展示スペースが設けられています。

京大に限らず大学生になるにあたっては、その情報が専門家の書籍・論文などの引用であるかどうかを確認したりして、より正しい知識を得ようとする努力は不可欠です。

今回は、1933年(昭和8年)起こった「滝川事件(京大事件)」について取り上げたいと思います。高校日本史の教科書にも載っている歴史的事件ですが、京大がめざしてきた道が分かるエピソードの1つです。

私の友人の法学部生は、この事件における京大法学部の対応に感動し、京大をめざすようになったと言っていました。

自由の学風

創立記念日2

京大は、当時の文部大臣で公家出身であった西園寺公望(さいおんじ きんもち)の力添えのもと、東京に1つしかなかった帝国大学を京都に誘致、1897年(明治30年)に京都帝国大学として創立されました。

京大が東大をライバル視するのは創立当時からだそうで、東大が知識重視の教育であったの対し、京大は研究や討論を重視したドイツ式の教育を取り入れたと言われています(実際今でも京大では、教科書を読んで覚えた知識よりも、自分で調べて思考した経験の方が役に立つ場合が多いと思います)。

また政府のある東京とは地理的に離れているため、国家官僚の養成が主な目的だった東大とは異なり、京大は学術研究にひたすら打ち込むことができたのです。

そのような環境の中で「学問の自由・大学の自治」という考えが京大に根付きました。

滝川事件とは

創立記念日3

時代が昭和に入ると、国家体制の引き締めのもと、政府をくつがえす運動に影響すると見なされた思想への弾圧が激しくなりました。
1933年、ある裁判所の判事・書記が思想的に禁止されていた活動に関与した疑いで逮捕されるという事件が発生しました。

当時司法試験の委員であり、京大で刑法学を教えていた滝川幸辰(たきがわ ゆきとき)教授がその元凶として国会で非難されます。さらに教授の書物『刑法講義』『刑法読本』は危険な思想であるとして発売禁止処分が下され、文部大臣は京大に対し滝川教授を辞めさせるよう要求します。

そこで当時の京大法学部の教授らと京大総長は、「学問の自由・大学の自治」を訴えてこの要求を拒否します。
しかし、文部省は滝川教授の休職処分を強行しました。これに反発した京大法学部の全教官が一斉に辞表を提出するという事態が起こります。

この事態に対して文部省と京大総長が交渉し、解決案が提示されるものの法学部は拒否します。その結果、京大総長が辞職し、新しい総長と文部省の間で「滝川教授の処分は特別な例であっただけで、教授の進退は基本的に京大総長が決める」という協議がなされます。

一方法学部内はこの協議に反対するグループと応じるグループとに分裂します。
結局、3分の2におよぶ法学部教官が京大を去っていきました。

この事件で京大の「学問の自由・大学の自治」は、時の流れに逆らえず敗北することになります。教官だけでなく多くの京大生、地元京都・大阪の各新聞社なども強硬な政府のやりかたに反発しましたが、その勇気ある行動も実ることはありませんでした。

それから長い戦争の時代に突入しますが、それでも京大は東大に比べればその時代背景に左右されずに済みました。

そして戦後になると、処分された滝川教授が京大に復職し、京大法学部の再建が進められます。さらには京大出身の湯川秀樹教授が戦前に発表した「中間子理論」によってノーベル物理学賞を受賞します。

こうして「学問の自由・大学の自治」は、復活するばかりでなくさらに躍進し、今日に至っています。

参考:『瀧川事件・記録と資料』(世界思想社編集部編)

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